好きな景色を守るために、小さな声をあげつづける(前編)
2013年に始まった遠州灘防潮堤の工事が、この春、完成しました。津波による浸水域の減災効果が期待されるものの、景観の問題ばかりか、工事による中田島砂丘の改変、防潮堤による環境の変化、そして防潮堤自体など、さまざまな課題を抱えているのも事実です。
中田島砂丘を舞台にさまざまな活動をする松下克己さんは、「砂おじさん」の愛称で親しまれています。中田島砂丘のこと、活動の思いなど、一緒に砂丘を歩きながらお話を伺いました。
俺の庭がなくなる
週末の中田島砂丘は思っている以上ににぎやかで、近くにある遠州灘海浜公園の駐車場には、豊橋や名古屋、岐阜といった他府県ナンバーの車を見つけることができます。砂丘の入口で記念撮影をしているグループ、はだしになって靴に入った砂を出している人たちの向こうには、不自然なくらい一直線の砂丘が鎮座しています。津波から浜松市民を守るためにできた防潮堤です。
「あれを砂丘だと勘違いしている観光客もいるんだろうなぁ」とつぶやく松下さん。出身は旧豊田町(現在の磐田市)。昔から海が好きで、友だちとBBQやスキムボードをしたり、ひとり昼寝をしたりと、砂丘や海は身近な存在でした。そんな松下さんが中田島砂丘とより関わるようになったのは、結婚を機に浜松市営の中田島団地に引っ越してから。
中田島団地を選んだのは海が好きだったのも理由ですが、規模も大きく、他の団地と比べて抽選倍率も低く、確実に入居できそうだったから。「結婚するのに新居も決まってなかったらまずいでしょ」と笑う。砂丘や海が身近な生活は結婚しても変わらず、奥さまと海辺を散歩したり、アウトドアワゴンにコールマンのツーバーナーを積みふたりでBBQをしたり、波乗りしたり。ご本人曰く、”俺たちの庭”だったそう。
中田島砂丘入口。高さ15メートルある防潮堤は、道路からも見える。※写真は一部を除き2019年夏に撮影。
砂丘を案内するときはできるだけゴミ拾いもする。「砂人」ではなく、なぜか「島人」(笑)
防潮堤の上から振り返ると、松林の向こうにアクトタワーと天竜の山が見える
「10年ほどたって、ふと、海岸までの距離が短くなっていることに気が付いたんだよね。台風が去ったあと、ひどいときには堤防近くまで波が来ていたこともあったっけ」。静岡県の資料によると、1982年から2004年の22年間に、150mほど海岸線が後退(※1)。海岸侵食に興味を持った松下さんは、静岡県の遠州灘沿岸侵食対策検討委員会を見学するようになります。といっても、年に数回の会議で、内容は報告程度。話し合いの場ではありませんでした。
2008年1月、海しか見えなかった中田島の海に人工物が投入された(写真提供:松下克己さん)
「あるとき、侵食対策としてテトラポットが海に投入されたんだよね。それまでこの海の先にはアメリカやハワイがあるんだぜって言っていたのに、目の前にあるのはテトラポットの山。当たり前にあった風景が、当たり前でなくなった瞬間。とても不自然で、汚された感があった。海岸侵食の原因は明らかで、天竜川上流に設置されたダムによって、砂が海に供給されなくなったから」
「市民みんなが声をあげれば何か変わったのかもしれないけれど、声は上がらなかったし、どこかに申し立てしようと思っても、そんな場所もなかった……。ダム事業は国家プロジェクトで、市民ではあらがうことのできない大きな力を感じた」と、当時を振り返る松下さん。そんな複雑な心境は、環境をキーワードにしたビジネス情報誌『エコノワ』(※2)創刊号の特集「遠州の海がなくなる」にも綴られています。
海辺で思い思いに過ごす人たち。海にはテトラポットが見え、なぎさには侵食対策で入れた土砂に含まれていた小石が目立つ
松下克己(砂おじさん)
中田島砂丘観光協会代表。いつも砂丘にいるイメージだが、実は中山間地の棚田でお米を作ったり、天竜の山で天竜材を語ったりもしている。遠州LOVEなのである。本業はデザインプロダクション・キーウエストクリエイティブに所属。浜松市を中心に行政、民間企業のコミュニケーションを扱う。地域を暮らしの観点から再認識する自社メディア「えんらくプロジェクト」に編集長でもある。
中田島砂丘観光協会
えんらく
※1 海岸線の後退について
遠州灘沿岸侵食対策検討委員会
第1回会議資料(PDF)
※2 エコノワ
松下さんが勤めるデザイン事務所などが製作したフリーペーパー。静岡県西部発 環境をキーワードに人と企業、地域をつなぐビジネス情報誌として、2009年に創刊。2014年まで8号を製作し、現在は休刊中。