好きな景色を守るために、小さな声をあげつづける(中編)

学ぶことの大切さ

中田島団地に10年ほど住み、やっぱり海が好きだからと、マイホームを建てた場所も中田島砂丘のそばでした。そして、活動を積極的に始める事件が起こります。防潮堤の建設です。2011年3月に東日本大震災が起こり、翌年の6月には静岡県と浜松市、一条工務店の間で整備の基本合意が行われ、中田島砂丘のどこに防潮堤が通るかは未定のまま、同年9月に工事がスタート(※1)。防潮堤工事が進み、気が付いたときには防砂林を伐採し、中田島砂丘の真ん中を横断することが決まっていました。中田島砂丘を守るという使命感があったんですかという質問に、「そんなことはないよ」と答える松下さん。「テトラポットが投入されたときと同じように、大好きな中田島砂丘の風景が壊されるのが、ただただ嫌だった。主義主張というよりも、感情が先にあった」


防潮堤の上にかぶせられた砂の中には瓦片やガラスなどが混じり、敷設された工事用の道路の一部が崩れていた。
防潮堤だけが理由ではないが、砂が動かなくなり、砂丘の一部は草地化し始めている。

 

筆者が幼い頃、家の近所に送電線の鉄塔が建ち、景色が一変して胸がざわざわしたのを覚えていると伝えたら、「それと同じだよ」と松下さん。「僕の場合、対象がみんなの知っている中田島砂丘で、防潮堤だから活動家のように見えるけど(笑)、中田島に住んでいなかったら、ここまでしていなかったかもしれないしね。僕は防潮堤に反対。人の命が大切なのは間違っていないし、地元住民の大多数が必要だと言えば、それはいたしかたないかなと思う。でも、行政は住民の声を聞いてくれなかったし、中田島砂丘の真ん中に防潮堤を通すという説明もなかった。知らないところでものごとが決まっていく、このプロセスが一番引っかかってるんだよね」

道のように見えるのが、風の通り道だと教えてくれた。

 


砂と風がつくるダイナミックな景色

 

行政が地元住民の声を聞こうとしなかったのは、地元住民に意見がなかったからなんじゃないかと松下さんは想像します。言葉は悪いかもしれないけれど、地元住民や市民が無関心で、意見を言わないから、行政もそこまで丁寧に対応しなかったのかもしれません。では、どうして意見は生まれないのか、どうして小さな声は行政に届かないのか。松下さんは、自ら動き出してその答えを見つけようとします。

最初に行ったのは、「中田島砂丘を未来へつなげるシンポジウム」(※1)。それは、防潮堤について賛成や反対を表明するものではなく、大学教授や冒険家、地元の市民団体などを招いた“学びの場”でした。知らないから、分からないから行動しないのであれば、学ぶことは、考え、行動する原動力になると松下さんは考えたのではないでしょうか。





午前中はみんなで中田島砂丘を視察。午後には登壇者によるレクチャー。中田島砂丘の形成、防災計画、冒険家の視点など、さまざまな角度から中田島砂丘について学んだ。

 

その11カ月後の2018年3月には、鴨江アートセンターにて企画展「中田島砂丘、断片」を開催。防潮堤ができて一変した中田島砂丘を舞台にしたアート作品やパフォーマンス、写真といった作品案(企画)を募集し、その企画案をプレゼンテーションするというもの。そして、提案された企画を実現するために始まったのが、アートイベント「椅子と惑星」です。


「中田島砂丘、断片」の展示風景。会場の中央には、許可を得て持ってきた中田島砂丘の砂を使った砂場を設置。砂にふれながら作品を見たり、おしゃべりしたり。他にも、漂流物でつくった作品などを展示

 

2018年10月、中田島砂丘で行われた「椅子と惑星」は、昼はアーティストたちによるワークショップが、夜には光と音のライブパフォーマンスが行われました。中田島砂丘の価値や魅力を再発見するという目的はあったものの、アーティストが介在することによって、中田島砂丘という場がいつものそれとは違った姿に変容する様子は、体験した人でしか分からない心地よさと、不思議な感覚がありました。観光客も足を止めたり、一緒に参加したり、偶然の出会いを楽しんでいるようでした。

砂を詰めてコーンや缶の型を並べていく。夕暮れには砂浜に、円錐や円柱が並んだ景色が生まれた

 


流れ着いた流木を使ってやじろべえをつくるワークショップ
思い思いの絵を描いたフラッグが風に揺らめく

 

砂に書かれた書家の文字

 

コンクリート片や小石を拾って缶に入れたら、即席の楽器が完成。内容物によって音色も変わる

 

「広告の仕事をしているから、クリエイティブが果たす役割や社会的価値というものを自分が信じてみたかったんだよね。鴨江アートセンターなどでいろんな人たちと出会うようになって、彼らが中田島砂丘をどう見ているのか、どう解釈するのか、どんな作品をつくるのか、個人的にとても興味があった」。そんな松下さんの話を聞いていると、人の才能や可能性をとても信頼している方だなと感じずにはいられませんでした。



夕暮れからはライブパフィーマンス。OHPを使ったタイムペイントとの共演で幻想的な空間に

 

「あとは、中田島砂丘を怖い場所にしたくなかったんだよね。ほら、僕みたいな防潮堤に批判的なおじさんが、防潮堤についてワーワー言っている場所って、端から見て怖いじゃん(笑)。コノヤロー、バカヤローではなく、アーティストたちとワークショップを通じて、ここが気持ちいい場所だなと思ってくれる人がひとりでも増える方がずっといいでしょ」

松下克己(砂おじさん)
中田島砂丘観光協会代表。いつも砂丘にいるイメージだが、実は中山間地の棚田でお米を作ったり、天竜の山で天竜材を語ったりもしている。遠州LOVEなのである。本業はデザインプロダクション・キーウエストクリエイティブに所属。浜松市を中心に行政、民間企業のコミュニケーションを扱う。地域を暮らしの観点から再認識する自社メディア「えんらくプロジェクト」に編集長でもある。
中田島砂丘観光協会
えんらく

※1 浜松市沿岸域防潮堤整備事業

※2 中田島砂丘を未来へつなげるシンポジウム 個人ブログ